エムカワ〜るど

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Nさんとエチオピア料理店で

ハマってしまったエチオピア料理。
ケニア料理は素材をそのまま味わうって感じだが、エチオピア料理はかなり手が込んでいて深みがある。


アパートをミコノ・オフィスとシェアして住んでいるNさんと、ビール片手に料理をつつきながらの会話である。
Nさんは、カナダに留学経験があり、販売会社で働いている日本人だ。


「ケニア人はしたたかですよ」とNさんは言う。
「彼らは有能です、有能ですけど、したたかなんです」

「私がいまの会社に入るときに、社長(日本人)に言ったんです」
「ケニアで日本人が働くなら給料は○○シリング必要です、ってね」
「ケニア人からみたらかなり高給です」
「そしたら、そこで働いている(ケニア人)管理職ふたりが、そんなに出せない、って反対したんですよ」

「で、それがきっかけで帳簿を調べることになって、けっきょく、管理職ふたりともクビですわ」
「着服してたのがバレたんです」
「そんなんばっかりですよ」

「ついこの間も支配人が持ち逃げしたんで、その後始末でいま大変なんですけど」
「で、いくら安くてもケニア人はダメだ、ってことで私の給料アップしました」
「仕事、増えましたけどね、やり甲斐あります」


σ(^_^)は「インド人みたいにやったりしますか?」と訊いてみた。
インド人は、英国がケニアを植民地支配するに当たり、現場の管理をさせるために連れてこられた。
インド人は、容赦なく黒人を働かせた。
だから、黒人とインド人は仲が悪い。

いまでも、インド人が経営者で黒人が従業員という構図はあまり変わっていない。
黒人の社長も増えてきているようだが。
スーパーマーケットなどで、黒人がレジに座っているが、経営者であるインド人は不正のないようしっかり監視している。

「奴隷みたいに、こき使うってことですよね」とNさん。
「日本人はお互い信頼しあってチームで仕事します」
「日本流で、やっていきたいんですよ」
「でも、裏切られるんですよ」

「この前も、ある日本人経営者の話なんですが、十数年つきあっていて気心も知れた現地の従業員」
「社長の右腕だったそうですけど、会社のお金に手を…」
「給料と比べたら、ずいぶん少額なんですよ」
「でもそれで、クビです」
「その人、いままで築いてきた関係はなんだったのかって…、そう言ってました」


「この前、ある英国人と会ったんですが、日本人はクレイジーだ、って言うんです」
「日本に出張したとき、財布をなくしたそうなんですね」
「その時点であきらめたんだそうですが、いちおう警察に届けたそうです」
「そしたら次の日に見つかって、中を確認したら、現金も、身分証も、クレジットカードも自分が入れた通りに並んでいたのでびっくりしたそうです」
「日本人はクレイジーだ、ってね」


日本は、そんな「信頼」というものが生きている国だから、成熟した高い文化があり、世界一の物づくり、経済力が保てている、安心してくらしてゆける。

だが、それこそ日本は平和ボケだと白い目で見る者がいて、またそれに同調する輩がいる。
そんな浅はかな近視眼的考えが日本をおかしくしてはいまいか。

「日本流は、正しいと思いますよ」とσ(^_^)は言った。


『日本人とアフリカ人』(立石 俊一 著)という本がある。
  • 「日本人は弱虫で臆病だ」と言い続ける著者は、「和を以て貴しとなす」という日本人の伝統文化がよほど嫌いのようだ。
「外国、特に途上国では、」「上に立つ人間は、部下の小賢しさを上回る小賢しさと強さ(腕力・体力でも権力でもよい)で、不正や裏切りをさせないだけでなく、仕事を命じてそこそこ働かせるというのが、尊敬される経営者、管理職のようだ」と筆者は言う。

英国流植民地支配の方法なのだろう。
支配する者とされる者の知恵くらべというところか。

しかし、そもそも、支配者・被支配者という関係の存在そのものがおかしいのだ。

奴隷制、強制労働など、させられる側はいかに怠け手を抜くかを考えるし、させる側はいかに働かせ統治するかに腐心する。
手間をかけた割りに、効率はよろしくないし得る物も少ない。
だいいち働く喜びがない。

そんなことに知恵を使うより、もっとお互いが豊かになるような風には考えられないのだろうか。


「カナダで働く、っていう選択肢もありますよね?」
「カナダとケニア、どちらがいいですか?」

σ(・_・)の問いに、彼は答えた。
「それ考えましたけど、やっぱりケニアですよ、エネルギッシュだし…」

彼も、アフリカが好きなのだ。