だいたいナイロビ編 | ガリッサ編 | 資料編 | |||||||||||||
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ナイロビ、ジョモケニヤッタ空港〜 Hou are you? ハウ・アー・ユー? ケニアの入国審査、σ(o^_^o)の心中を察してか優しく問いかけてきた係官。 何も問題はないのだが、やはり緊張する。 はんこをポンと押してパスポートを差し出した係官に「サンキュ」と答えてゲートを通過した。 それにしても、なんと日本人の多いことか。 ほとんどがサファリツアーの人たちだと思われる。 預け入れ荷物を受け取り、最後の関門手荷物検査へと向かった。 そして、さも団体客のメンバーのように、さりげなく日本人ツアーの行列に加わった。 別に捕まるようなものは持っていないが、難癖つけられたら厄介だ。 「デイバッグの中身は?」と係官が訊くので、ファスナーをちょっと開けて「クロス(服)」と言って見せたら、それだけで通過できた。 昔は所持金額を書類に記入しなければならなかった。 そしてその書類は、銀行で換金の度に提出しなければならない。 出国時には残金と書類の金額が合っていないとならない。 しかしいまは、そんな面倒なことはなくなっていた。 出口には、日焼けした懐かしい顔が待っていてくれた。 ミコノ・インターナショナルの所長である。 「ミコノ」というのはスワヒリ語で「手(複数形)」を意味する。 このNGOは、豊かな国から貧しい国に一方的に何かをしてあげるというのではなく、アフリカの人々と手を携えて、彼らの自立のために尽くしつつ、自分たちの生き方をも考え直すという趣旨の団体である。 真冬の日本から真夏のナイロビ、日差しがきつい。 駐車場へ行くと、客引きの声があちこちからかかる。 自分のタクシーに乗せようと一生懸命なのだ。 そんなドライバーたちはなにやら親しげに、所長に声をかける。 「俺は知らないんだけど、むこうは知ってるらしいんだよね」 と所長。 所長の車は市街地へ向けて走り出した。 懐かしい風景がひろがっている。 所長が指をさす。 「あれがアメリカ大使館」 「へえ、いつだったか爆破された…」 「いやいや、爆破されたからこっちに引っ越したんだよ」 「なるほど」 「日本大使館もこっちに建てるらしいよ」 「へえ」 「建物、ずいぶん増えたでしょ、…最近は看板が多くなってね」 30分ほどで市街地に入った。 渋滞の中、車はのろのろと進む。 やがて所長の自宅があるアパートに着いた。 車の中は暑かったが、日陰に入ると涼しい。 「(^-^)お疲れ様でしたぁ〜♪」 ということで、さっそくケニアのビール「タスカー」をいただいた。 ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ ビンビールしか知らなかったのだけれど、今は缶ビールも売っているそうな。 所長は用事があり、一息つくと出かけていった。 σ(o^_^o)は奥さんのE子さんと、ミコノでの出来事や関わった人たちについて、ビール片手に語り合った。 15年ぶりのケニア、「あの人は今こうしていて…、あそこはどうなって…」積もりつもった話に花が咲いた。 しばらくして、所長が戻ってきた。 C君も帰ってきた。 所長の息子さんで、日本人学校に通う小学6年生だ。 「それでは、行きますか」 「カティカティ」、スワヒリ語で「真ん中」を意味するそこは、所長宅から歩いて1分とかからないところにある焼き肉屋の名前である。 敷地内には、焼肉屋のほかにカラオケ、中華料理屋、そして自動車修理工場がある。 今夕はここでディナーということになった。 ニャマチョマを注文する。ニャマ(肉)、チョマ(焼く)、文字通り焼き肉だが、日本と違うのはその焼き方だ。 日本の焼肉屋は薄くスライスした肉を焼くが、ケニアでは肉の塊を焼いてそれをカットする。 骨付きステーキをイメージした方がいいだろう。 注文するときも、吊してある肉の、「ここがいい、あそこがいい」と言って好みの部分を指定することができる。 肉が厚い分でき上がりまで時間がかかるが、ビールを傾けながら待つのも、またよいものだ。 ゆっくりと陽が落ちてゆく。 アフリカにいる。 確かに、いる。 夕食が終わり、再び所長宅で酒盛りとなる。 「ケニア・ケイン」というスピリッツを水で割ってレモン汁をたらすと、立派なカクテル?になる。 ま、焼酎の水割りってところ。 クセがなく飲みやすい。 気がつくと、夜の10時を回っていた。 時差は6時間あるので、日本なら新聞を配っている頃だ。 (~o~)ファーァ...(=。=)アフ... うとうとしつつ、体内時計を修正するため、なんとかガンバって11時半、ベットに潜り込んだ。 |